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らこ
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【書評】『教養の書』なぜ人は古典を読み継いできたのか

古典が大切だとは頭ではわかっちゃいるけれど、その気になるのは時間がかかりますよね。

ぼくに古典を読む意味を教えてくれた一冊、

それは戸田山和久さんの『教養の書』です。

本書はいまでも大事な一冊であり、学生時代の自分に読ませたい本ランキング1位です。

この記事では、学生時代の自分に向かって本書の大事なエッセンスを伝えます。

古典を読む意味が腹落ちしていない学生の方や、社会人の方にとって有益な情報になればうれしいです。

この記事の内容

・エンタメと古典の関係性
・プラットフォームとして古典
・古典との向き合い方についての解説

目次

『教養書の書』から学んだ古典を読む意味

なぜ人は古典を読むべきなのでしょうか。

さっそく、本書を読んで自分なりに解釈した結論をお伝えすると

エンターテインメントの楽しみの幅を広げてくれるからです。

どういうことか補足していきます。

まず著者は、古典とは共通の文化基盤だと喝破します。

「当然知ってるよね、だからこっちも知ってることを前提して進めさせてもらいますよ」という態度が、独り善がりにならない程度の大きさの集団に対して(できれば国境を越えて、長期にわたって)通用する作品なら何でも「古典」なんである。

戸田山和久『教養の書』筑摩書房

エンターテインメントと教養の関係

エンターテインメントにおいて、世の中で古典はどのように機能しているでしょうか。

具体例を紹介するとジェームズ・キャメロン監督はこのような発言を残しています。

「12歳の子供とスタンフォードの45歳の英文学教授が楽しめる、二つのレベルでうまくいく映画をつくろうときめた」

この発言が意味するのは、大多数を満足させる一本勝負ではなく、それぞれが楽しめるようにする二重構造への眼差しです。

英文学教授の眼差しとはつまり、作品の裏に隠された仕掛けを発見・解釈する喜びの醸成です。

その意味で、観客は喜びを十分に味わうために、その作品の外にあるものをたくさん知っておかなければなりません。

古典とは知の共通基盤

つくり手にとっては、古典こそが共通の知識基盤のコアとなります。使わない手はないわけです。

だからこそ聖書の読み替えがあったり、シェイクスピアを下敷きにしたりするわけです。

映画好きがニヤニヤするような過去の名作オマージュがひょっこり顔を出すことがある。

『仕事と人生に効く教養としての映画』では「トイ・ストーリー」をアメリカの歴史と照らし合わせながら解説しています。

このような引用・オマージュの可能性から古典を眺めてみると、ちがう景色が広がっています。

古典を知ると楽しみが増える

文化は階層とともに発展してきた歴史があり、文化というものは多少の悪徳の匂いを伴うと著者はいいます。

つまり万人向けでなく「自分はつくり手が仕込んだこの意図がわかるぜ」という楽しみ方。

それを承知のうえで「こっちも楽しいよ」と著者は手招きします。

もちろん無機質に引用元の原典を知るだけなく、それを読みものとして没入して楽しめれば最高です。

逆にいえば、本にはまらなくても「こういうパターンね」と一定の距離感をとって頷いていればいいんです。

教養のバトンを継いでいく

その一方で、二重をまったく知らなくてもエンターテインメントは楽しめるのも事実です。

それでは楽しみの幅が広がなくてもいい人にとって、まったく読む意義がないのでしょうか。

キーワード:俯瞰の目線

著者は「俯瞰の目線」で説明をしています。

ここでいう俯瞰とは過去から現在、そして未来を眺めたる大局的な視点のこと。

ぼくの解釈では、キーワードは「バトンの継承」です。

生きるのに役に立つ貴重な古典ひいてはフィクションは、次世代に手渡していかねばなりません。

なぜなら知的遺産の継承の担い手である「リレー走者」がいなければ人類の幸福の総量が激減するからです。

かんたんにいえば、知の共通基盤が崩れてしまったら、人類の楽しみの幅は狭まってしまいます。

誰も知らないと引用が成り立たなくなっちゃう!

キーワード:自己の相対化

とはいえ、ぼくたちは自分のことで手いっぱいで毎日を暮らしています。

こういった俯瞰の目線を持つにはどうすればいいのでしょうか。

もう一つのキーワードが「自己の相対化」です。いかんせん抽象的なので補足をします。

著者の言葉で自己の相対化を表現すると

「自分をより大きな価値の尺度に照らし合わせて相対化できること」です。

著者は象徴的なエピソードとして映画『デイ・アフター・トゥモロー』を挙げています。

登場人物のおじさんが後世のために図書館の本を一冊だけ残すというくだりがあります。

そのおじさんはじつは無神論者。しかし、好みのニーチェではなく、西洋文明全体を考えて聖書を選びました。

つまり、自分を超えた価値に照らし合わせて判断したといえます。

大局観を持とう

それでは相対化って単なる全体主義・功利主義かっていうと、そうでもないと思うんですね。

おじさんは、キリスト教信者がたくさんいるからという数の論理だけで聖書を選んだわけでもないのです。

大多数の幸せもあくまで一つの価値尺度。

相対化の先には総合的に判断して行動していく大局観を持つ必要があります。

次のアクションは「知識の構造化」のようです!

さらに知識をどのように整理していくか具体なアクションにご興味がある方は、本書をぜひご一読ください。

まとめ:『教養の書』で楽しみの幅を広げよう!

この記事では『教養の書』のエッセンスから、古典を読む意味について紹介しました。

学生時代の自分には肩肘をはらずにエンタメの楽しむ幅を広げる気持ちでいいよと伝えてあげたい。

当時からスタンスが定まっていれば、もっと自由に本と関われたんじゃないかなと思います。

もちろん「なぜ」にこだわり過ぎるのも健全ではないので、ほどほどをおすすめします。

教養に興味がある方は下記も目を通しましょう。

それではよい一日を!

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